ステイトメント「旅を続ける」
私は現実の社会を寓話的な世界に置き換えた絵画を制作している。
そこに写し出された風景は、私自身の内省の旅の途上の風景である。
現実に地球で起きている現象や出来事は、私という人間一人では抱えきれない。
だが、絵画の中にもう一つの幻想世界を描き出すことで、私はこの現実の世界の一端を理解しようと試みる。
その絵画が数百枚、数千枚と増え続ければ、いつしかこの捉えきれない不思議な世界の全体像を理解する事ができるのではないか。
大きな歴史の中に埋もれまいと抗う小さな物語、それらを一枚の絵画として描く。
自身の過去の作品では空の上での傍観者として描かれていた「顔を持つ太陽」は、段々と画面の真ん中に現れ出した。
地層は私たちの世界が今もなお紡いでいる物語である。
「世界」という物語はどう紡がれてきたのか、
私たち人類はどこへ向かうのか?という問いが現れる。
芸術はそれらの問いに対する答えを照らし出すことが可能であると信じている。
2023 春
ステイトメント「太陽を軸に続いていく景色」
私の描く風景画の中には「顔を持つ太陽」が登場します。
私は過去にメキシコや北欧など幾つかの国々を訪れました。それらの国々は同じ太陽の下であっても全く違う色彩や風土、文化がそこに在り、その事を知って私は新鮮な驚きを感じました。そしてどの国も何故か懐かしく感じたのです。
私はその時に感じた感情を絵画の中に繋ぎ止めたいと思いました。
「顔を持つ太陽」は自身の絵画において、守護者、傍観者、語り手の様な存在として描いています。
地平線や水平線のモチーフは、育った土地がいくつか有り、生まれ故郷と言える場所が一つでは無い私自身の幼少期の移動の体験と、今居る場所から向こう側へ行きたいと願う自身の好奇心が動機となって描かれています。
私の描く風景は常に目的地までの旅の途上です。太陽、大地、海からなる場面は国や地域など様々な場所に当てはまり、その場面設定や込められた感情は見る人の想像力に委ねられます。
私は絵画という虚構の世界のさらなる奥にある世界に触れてみたいと願っています。
それは現実の作者の人生かもしれないし、見る側の内面の記憶かもしれないし、全く別の世界の一端かもしれません。
私は太陽を軸に続いていく景色を描き続けることで、いつでも出発することのできる内省的な旅を続けたいのです。
2022 冬
2009年に私はメキシコの地を訪れ、その死生観や信仰心に魅了され、それから現在の作品のモチーフともなる「顔を持つ太陽」が世界を俯瞰している風景を描いてきました。
そして魔術や目に見えない存在など空想的で寓話的な風景を描く事で、未知なるものに対する純真な思いを表現するようになりました。
その後、3.11やコロナパンデミックなど予期せぬ自然災害や社会問題が起こり、まるで世界の終焉の光景を目の当たりにしている様で、死への恐怖を感じました。
2020年に入りパンデミックの行動制限の中、自分を取り巻く世界が小さくなっていく様に思え、またStay Home とも重なり、歴史や宗教、詩や文学、政治や経済などを改めて勉強しなおす中で、世界の認知を少しづつ広げていきました。
また、日常の生活にあったラジオから流れる音楽を聞く、身近な街を散歩するなど、遠くに行けなくても多くの出会いと発見は常にあると気づけました。
今回出品する3つの作品 (見知らぬ詩人の死、足元の地層、太陽の像) は、パンデミックで気づいた事、その時の出会い、イマジネーション、そして行動から生まれた作品たちです。
海や荒涼とした大地は無限の生命の可能性と孤独を表し、私自身の心象風景でもあります。
私はこれらの作品を通して、自身と社会、過去から今を繋ぎ、世界の成り立ちとこれからも続いていく物語の行く末を想像して作品を創っていきたいのです。
2021 冬
私は色彩と構図に重点を置いた風景画を制作しています。
それらは私が出会った多くの芸術作品、音楽や文学、旅先で感じた経験などからインスピレーションを得て描かれています。
顔を持つ太陽を軸に広がるもう一つの世界 (風景画) は一見、空想的で平和的に見えますが、現実社会で起きている数々の出来事や生と死などのメタファーが込められています。
変容する時代の中で、人々の記憶が熟し、または風化し、歴史が生まれていく。最近はそういった物語の循環の過程に興味があります。
一つ一つの作品に様々な問いかけを込め、世界の成り立ちと絵画と人類の関係性を探求しています。
過去の記憶や 旅先で感じた一瞬の「感覚」など
おぼろげだけれど、
大事な記憶を
絵画に描く事で繋ぎとめ
永遠の感覚に近づけようとしています。
太陽を軸に続いていく景色の
こぼれ落ちる記憶の中から
根源的な不思議を絵画を通して表現しています。